とだただつぐ
- 三河国・田原の国人・戸田氏の支流。田原戸田氏2代当主。通称は「三郎右衛門」。
- 田原戸田氏は田原城を中心に三河湾沿岸を支配。
- 天文16年(1546)、今川義元に背いて松平竹千代(後の徳川家康)を駿河国に護送せずに、織田信秀に売り飛ばしたため、今川勢に田原城を攻められ、田原戸田氏の宗家は滅びるが、支流の光忠(忠次の実父)は辛うじて脱出し、岡崎に逃れたことに始まる。
- 戸田光忠の嫡男として生まれる。
- 永禄6年(1563)、土呂・針崎・佐崎の一向宗が徳川家に対して一揆を起こすが、忠次もこれに応じる。
- 永禄7年(1564)、徳川家との親戚関係を理由に内通を疑われたので、これを恨み、徳川方に転じ、一揆鎮圧の軍勢に加わる。
- 永禄11年(1568)の遠州遠征に始まり、天正18年(1590)の小田原城征伐までの各戦闘で功績を挙げた武勇と知略に優れた武将と伝わる。
- 徳川家の関東移封に伴い、伊豆・下田城5000石を与えられる。
- 文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にときには、老齢の身ながら肥前国・名護屋城にいた家康に謁見し、従軍する意思を示したという話を聞き、秀吉は「壮者の亀艦」と称賛したという逸話あり。
人物
1531~1597
- 性別:男
- 音声:男性・勇敢
- AIレベル:B
- 野心:12
- 主義:中道
- 身分:組頭
- 出自や資質:武士
- 信仰:一向宗
能力
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 | |
---|---|---|---|---|
参考の120%査定 | 52 | 67 | 40 | 42 |
【参考】戸田尊次 | 43 | 56 | 33 | 35 |
- 戦法:急襲
- 奉行:武士心得
- 家宰:資糧整備・凡
- 特性:地の利
所在
年 | シナリオ | 年齢 | 城 |
---|---|---|---|
1546年 | 信長元服 | 16歳 | 岡崎城 |
1553年 | 尾張統一 | 23歳 | 岡崎城 |
1560年 | 桶狭間の戦い | 30歳 | 岡崎城 |
1567年 | 天下布武 | 37歳 | 岡崎城 |
1570年 | 信長包囲網 | 40歳 | 岡崎城 |
1572年 | 三方ヶ原の戦い | 42歳 | 岡崎城 |
1575年 | 長篠設楽原の戦い | 45歳 | 岡崎城 |
1577年 | 手取川の戦い | 47歳 | 岡崎城 |
1582年 | 夢幻の如く | 52歳 | 岡崎城 |
1591年 | 天下無事ならず | 61歳 | 韮山城 |
1600年 | 関ケ原の戦い | 死亡 | ー |
1614年 | 大坂の陣 | 死亡 | ー |
血縁
- 実父:なし
- 血縁:戸田尊次
- 親愛:なし
- 嫌悪:なし
列伝
三河一向一揆で当初は一揆側に加わるが、内通を疑われると立場を転じ、一揆鎮圧の軍勢に加わる。その後、合戦で功績を挙げる。