おおすがやすたか
- 大永7年(1527)、三河国で大須賀正綱の子として生まれる。
- 榊原康政と共に酒井忠尚に仕えていたが、忠尚が徳川家康に反旗を翻すと、これに従わず、康政と共に家康に仕えるようになる。旗本先手約として活躍した。
- 天正元年(1573)、遠江国・馬伏塚城を武田軍の侵攻から守り切った。
- 天正2年(1574)、高天神城の籠城戦では、小笠原信興らと共に2ヶ月籠城するも援軍が期待できず、開城降伏した。敵将・武田勝頼の寛大な扱いにより、徳川への帰還を許される。
- 天正6年(1578)、高天神城の抑えとなる横須賀城を築き始める。渥美勝吉、坂部広勝、久世広宣らの横須賀七人衆と共に配属される。
- 天正9年(1581)、高天神城の戦いで横須賀七人衆の活躍もあり勝利し、落城させた。この手柄を認められ、翌年、松平の名字を与えられた。
- 本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱においては、曽根昌世、岡部正綱とともに先鋒隊として派遣され、武田遺臣や近隣の有力寺社に対して所領安堵を行っている。
- 天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いでも先鋒として参加するが、堀秀政の反撃を受けて敗れる。
- 天正13年(1585)、真田昌幸攻めでは苦戦する味方の援護に井伊直政と共に派遣される。
- 天正17年(1589)、急病で死去する。
- 徳川二十将の一人。徳川四天王や大久保忠世、鳥居元忠らに匹敵する武功を挙げた人物である。
人物
1527~1589
- 性別:男
- 音声:男性・勇敢
- AIレベル:A
- 野心:6
- 主義:中道
- 身分:組頭
- 出自や資質:剣豪
- 信仰:なし
能力
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 | |
---|---|---|---|---|
参考①②の平均査定 | 70 | 73 | 70 | 31 |
【参考②】鳥居元忠 | 62 | 69 | 72 | 24 |
【参考①】大久保忠世 | 77 | 77 | 67 | 38 |
- 戦法:激励
- 奉行:守城奉行
- 家宰:臥薪嘗胆・良
- 特性:能弁 自衛 鉄壁
所在
年 | シナリオ | 年齢 | 城 |
---|---|---|---|
1546年 | 信長元服 | 20歳 | 掛川城 |
1553年 | 尾張統一 | 27歳 | 掛川城 |
1560年 | 桶狭間の戦い | 34歳 | 掛川城 |
1567年 | 天下布武 | 41歳 | 掛川城 |
1570年 | 信長包囲網 | 44歳 | 掛川城 |
1572年 | 三方ヶ原の戦い | 46歳 | 掛川城 |
1575年 | 長篠設楽原の戦い | 49歳 | 掛川城 |
1577年 | 手取川の戦い | 51歳 | 掛川城 |
1582年 | 夢幻の如く | 56歳 | 掛川城 |
1591年 | 天下無事ならず | 死亡 | ー |
1600年 | 関ケ原の戦い | 死亡 | ー |
1614年 | 大坂の陣 | 死亡 | ー |
血縁
- 実父:なし
- 血縁:大須賀忠政
- 親愛:榊原康政、渥美勝吉
- 嫌悪:なし
列伝
徳川家臣。遠江国・横須賀城主。高天神城の戦いでは、横須賀衆の活躍もあり勝利する。各戦で武功を挙げ、徳川二十将に数えられる。