そねまさただ
- 武田家臣。武田二十四将の一人に数えられることもある。
- 生没年不詳。虎長の子として生まれ、信玄の奥近習衆を経て足軽大将となる。
- 駿河侵攻(1568~1571)に際して真田昌幸らと共に活躍、偵察においては「信玄の両眼の如き者ども」と信任されている。
- 元亀元年(1570)、伊豆韮山城攻めで武功を挙げている。
- 駿河占領後、駿河興国寺城の城主に任される。
- 信玄没後は勝頼に仕え、長篠の戦いに参加。
- 天正10年(1582)、武田家滅亡後は徳川家に仕える。
- 本能寺の変後の天正壬午の乱で徳川軍が甲斐へ侵攻した際に活躍し、武田旧臣の駒井政直らを味方にするために天正壬午起請文のまとめ役になる。
- 天正壬午の乱の後、再び興国寺城主となるが、ほどなく出奔している。
- 天正18年(1590)には、蒲生氏郷に仕える。
- 天正19年(1591)、武田旧臣の真田信尹らと共に九戸攻め(九戸政実の乱)に参加している。
- 信玄から軍学や築城術などを直接学び、これらの技能に精通していたと考えられている。
生没年の想定
- 生年:1570年頃に城主を任されているので、元服(15歳)から少なくとも10年経過しているとして、1545年と設定。
- 没年:1591年以降の主な功績がなく、このとき45歳くらいとなることから寿命50年として、没年を1595年で設定。
人物
1545?~1595?
- 性別:男
- 音声:男性・策士
- AIレベル:B
- 野心:10
- 主義:中道
- 身分:組頭
- 出自や資質:武士
- 信仰:なし
能力
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 | |
---|---|---|---|---|
参考の80%査定 | 75 | 64 | 79 | 68 |
【参考】真田昌幸 | 94 | 80 | 99 | 85 |
- 戦法:足止
- 奉行:旗奉行
- 家宰:強攻戦略
- 特性:一所懸命 用兵 地の利
所在
年 | シナリオ | 年齢 | 城 |
---|---|---|---|
1546年 | 信長元服 | 元服前 | 躑躅ヶ崎館 |
1553年 | 尾張統一 | 元服前 | 躑躅ヶ崎館 |
1560年 | 桶狭間の戦い | 16歳 | 躑躅ヶ崎館 |
1567年 | 天下布武 | 23歳 | 躑躅ヶ崎館 |
1570年 | 信長包囲網 | 26歳 | 躑躅ヶ崎館 |
1572年 | 三方ヶ原の戦い | 28歳 | 興国寺城 |
1575年 | 長篠設楽原の戦い | 31歳 | 興国寺城 |
1577年 | 手取川の戦い | 33歳 | 興国寺城 |
1582年 | 夢幻の如く | 38歳 | 興国寺城 |
1591年 | 天下無事ならず | 47歳 | 田丸城 |
1600年 | 関ケ原の戦い | 死亡 | ー |
1614年 | 大坂の陣 | 死亡 | ー |
血縁
- 実父:曽根虎長
- 血縁:曽根虎長
- 親愛:真田信尹
- 嫌悪:なし
列伝
武田家臣。二十四将の一人。駿河侵攻では偵察として昌幸と偵察で活躍。興国寺城主となる。武田家滅亡後は徳川家に仕え、晩年は蒲生氏郷の家臣となる。