うきたひでたか

  • 宇喜多秀家の嫡男。別名を秀隆。通称は孫九郎。
  • 慶長2年(1597)、従四位下侍従に叔任され、豊臣姓を賜る。
  • 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に属して敗戦し、父とともに薩摩の島津義弘を頼って落ち延びた。
  • 慶長8年(1603)、義弘の子・島津忠恒によって徳川家康へ身柄を引き渡される。
  • 慶長11年(1606)、父の流罪に従い、八丈島に流される。その後、百姓になり、八丈島奉行・奥山忠久の娘を娶る。

人物

1591~1648

  • 性別:男
  • 音声:男性・普通
  • AIレベル:B
  • 野心:10
  • 主義:革新
  • 身分:組頭
  • 出自や資質:武士
  • 信仰:なし

能力

統率武勇知略政務
参考の70%査定57604755
【参考】宇喜多秀家81866779
  • 戦法:急襲
  • 奉行:高家心得
  • 家宰:重農主義・凡
  • 特性:なし

所在

シナリオ年齢
1546年信長元服未誕生岡山城
1553年尾張統一未誕生岡山城
1560年桶狭間の戦い未誕生岡山城
1567年天下布武未誕生岡山城
1570年信長包囲網未誕生岡山城
1572年三方ヶ原の戦い未誕生岡山城
1575年長篠設楽原の戦い未誕生岡山城
1577年手取川の戦い未誕生岡山城
1582年夢幻の如く未誕生岡山城
1591年天下無事ならず元服前岡山城
1600年関ケ原の戦い元服前岡山城
1614年大坂の陣24歳三崎城

血縁

  • 実父:宇喜多秀家
  • 血縁:なし
  • 親愛:なし
  • 嫌悪:島津忠恒

列伝

宇喜多秀家の嫡男。関ケ原合戦には父とともに西軍として参戦。敗戦後、島津義弘を頼り落ち延びるも島津忠恒によって身柄を引き渡され、島流しとなる。